⬛️江藤淳の「小林秀雄」論を読みながら考えたこと(4)。江藤淳と埴谷雄高-丸山眞男。
江藤淳の「小林秀雄」論の背後には、《 60年安保》があるが、もっと具体的に言えば、埴谷雄高や丸山眞男等がいる。江藤淳は、「小林秀雄」論を連載しながら 、埴谷雄高や丸山眞男等との複雑な関係のなかにいた。特に結婚して、新居をかまえた吉祥寺時代に 、埴谷雄高とは微妙な関係にあった。つまり、江藤淳は、埴谷雄高との親密な《師弟関係 》にあった。埴谷雄高からの思想的影響もかなり受けている。『作家は行動する』における《小林秀雄批判》も、その一つだろう。しかし、「小林秀雄」論を連載する過程で、その後の転居も重なって 、埴谷雄高とは疎遠になり、やがて思想的にも決別し、そして逆に、今度は、対立し、論争する関係へと変貌していく。それは、埴谷雄高サイドからみると、江藤淳の《 転向 》と《変節 》を意味していた。しかし、それを江藤淳の側から みれば、どういうことを意味していただろうか。