山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 090-6007-0726。 yama31517@yahoo.co.jp

■『江藤淳とその時代 (5)~江藤淳の日比谷高校時代について~』以下は、『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の5 回目(7月号掲載)の原稿の下書きです。 ーーーーーーーーーーーー 江藤淳は、神奈川県の進学校=湘南高校から東京の日比谷高校と言うよりは、当時、東大合格者が全国一のトップ高だった日比谷高校へ転校する。私は、つい最近まで、江藤淳は日比谷高校の「落ちこぼれ」だと思っていた。「東大に落ちて~」「慶応に進学した~」と 、江藤淳の自筆年譜から、そう判断していた。私だけではなく、多くの人がそう判断し



■『江藤淳とその時代 (5)~江藤淳の日比谷高校時代について~』以下は、『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の5 回目(7月号掲載)の原稿の下書きです。
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江藤淳は、神奈川県の進学校=湘南高校から東京の日比谷高校と言うよりは、当時、東大合格者が全国一のトップ高だった日比谷高校へ転校する。私は、つい最近まで、江藤淳は日比谷高校の「落ちこぼれ」だと思っていた。「東大に落ちて~」「慶応に進学した~」と 、江藤淳の自筆年譜から、そう判断していた。私だけではなく、多くの人がそう判断していたに違いない。これまでに書かれた多くの江藤淳論や江藤淳批判の文章類を見ると、そう感じ取られるものが少なくない。もちろん、私は、江藤淳の高校時代の学力や偏差値などを議論したいわけではない。批評家=江藤淳の誕生というドラマを理解する上で、この日比谷高校時代がきわめて重要な時期だと考えるからだ。私は、江藤淳評価(江藤淳論)において、吉本隆明柄谷行人の二人だけが、江藤淳を、正当に、つまり高く評価出来ている、と書いたが、それは、江藤淳を理解するには、それ相当の存在論的思考力と存在論的感受性を必要とするということだ。柄谷行人が、江藤淳の「日比谷高校時代」について、「追悼文」で、面白いことを書いている。
《七0年代に、江藤淳を通して、彼を若い時から知っている人たちと知り合いになったが 、たとえば、日比谷高校で江藤淳と同級生だった小説家の故柏原兵三は、江藤淳が学生大会でストライキに反対して演説し、ストをつぶしたと語った。あの温厚な柏原兵三がかなり激しくその時の恨みを語ったので、驚いた記憶がある。(余談だが、彼は、江藤淳は抜群に優秀であったのに数字だけがまったくだめだだったともいっていた。三島由紀夫もそうであっただけに、私はそれを興味深く思う。)そうだとすると、一九六0年前後に江藤淳が「転向」したというのは、錯覚だといわねばならない。彼自身が認めているように、湘南中学時代にマルクス主義的であったことが確かだとしたら、日比谷高校に移る時点で変わったということができる。しかし、そう簡単ではない。それなら、先行世代に江藤淳を左翼だと思いこませたようなラディカルな著作を、どう説明するのか。》(柄谷行人江藤淳と私』文学界『』)

柄谷行人は、伝聞ながら、日比谷高校時代の江藤淳についてその雄姿を伝えると同時に、江藤淳の『ラディカルさ』、つまり思考や行動のラディカリズムについても描いている。日比谷高校時代のこの学生大会の様子については、作家の坂上弘も書いている。